K-1の終焉(5)

(4)からの続き。 (5) ここまで、80年代プロレスで生まれたUWFという特異な運動が提出した「リアルをめぐるいくつかの問いかけ」をたどることで、K-1の成功と(現在の)衰退の理由を簡単に見てきた。そこで問題となっているのはK-1のジャンル化であり…

K-1の終焉(4)

前回からの続き。 (4) こうした状況を象徴するプレイヤーとしてボブ・サップをあげることができるだろう。元NFL選手という肩書きを持つサップはさほど注目されるプレイヤーではなかったが、PRIDEで圧倒的な「パワー」を見せ付けることによって頭角を現…

K-1の終焉(3)

(2)の続き。 ではなぜ、K-1は終焉を迎えた(あるいは、迎えつつある)のだろうか。 理由のひとつとして、その成熟と隣り合わせにある「スポーツ化」を挙げることができるだろう。 近年のK-1を観ていて如実に感じられることはそのKO率の低下である。判定…

K-1の終焉(2)

(1)からの続き。 (2) まず、RINGSはその来歴からして「プロレスの呪縛」から抜け出すことができていなかった*1。プロレス的なスターシステムに色気を見せることはリアルファイトへの志向と両立しない。結果、早い段階で「有力選手」と「その他」とが分…

K-1の終焉(1)

今日から何回かに分けて「K-1の終焉」について考えてみる。これは、格闘技というものに仮託した、「ショーの臨界点」についての印象論である。 (1) 「K-1の時代」は終わりを告げた。もはや、一世を風靡することは永遠にないだろう。格闘技の一ジャンルと…

昨日の今日でまたという感じなのだけれど、サッカーアジアカップでの中国観衆の一連のブーイングに関して、こんなニュースがあった。 河村文部科学相は閣議後の記者会見で、「スポーツに政治的なものを持ち込まない大原則について、中国政府も十分対応してほ…

国歌について

ぼくは「健全なナショナリズム」という物言いを認めない人間の一人だ。 ナショナリズムの存在や、それが人々の心や考え方の「ひとつ」のフレームになっていることを否定するつもりはまったくない。だいたいそんなことは不可能でもある。 だけど、それがもつ…

『スチームボーイ』

タイミングが合ったので映画館へ。『スチームボーイ』(監督:大友克洋)を見る。以下、感想。ネタバレ、少しあり。 例によってぼくの興味はナラティブが中心なわけだけど、その点について言えばこの作品はやや貧弱だったと思う。 この映画では主人公レイが…

血液型トークについて

ぼくはカラスが本当に苦手で、あの黒い姿にはいつも恐怖を覚えるのだけれど、それと同じくらいに苦手なもののひとつに「血液型トーク」がある。 例えば、一通りの自己紹介が終わったあとに初対面の女の子とのあいだで唐突に*1、 「血液型、なんですか?」 「…

批評の中心

25年以上も前、詩人の谷川俊太郎は盟友である大岡信との対談の中で次のように述べている。 (いまではそういう意味での批評に疑問を感じはじめてはいるが)ただそれでも、批評の基本にあるのは趣味という、ほとんど外から規定できないような好悪の感情であ…

『ドラえもん のび太と鉄人兵団』

懐かしさに誘われてドラえもんの長編映画を見る。 1986年の『ドラえもん のび太と鉄人兵団』(監督:柴山努)、ドラえもん長編映画の第7作目。実は再見で、子供のころに見たという記憶だけがあるが内容はまるで覚えていない。同じころに見た映画やテレ…

高校野球について(2)

前回ぼくは、高校野球の中心的な要素とはスポーツ性ではないと述べた。これはひどく暴力的な物言いであるため、前もって以下のことを断っておくべきだったかもしれない。 それは、「高校野球」という言葉は外部記述として使われているということである。つま…

『頼子のために』、ほか

読んだ本をメモ。 京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』(講談社ノベルス)。ぼくにしては珍しいことに前半の早い段階で物語がどういう形で収束するのかがよめてしまい、謎に惹かれてというよりも、その「よみ」の確かさを確認するために読んでいった感じ。結局期待は裏…

高校野球について(1)

7月も後半にもなると毎年のように「今年も球児たちの暑い夏がやってきます」的な女子アナの声*1がテレビから聞こえるようになる。球児たちの暑い夏、高校野球の夏である。 もっともこの高校野球に対しては、それなりに批判もあるらしい。 昔から「なんで野…

TrackBack。多謝。 http://d.hatena.ne.jp/nagata/20040720 ちゃんと忍耐力を発揮して考えてみたい。まあ、だいぶ先になると思いますが、ご期待ください。 などと言ってしまっていいのだろうか・・・。 いまできることといえば、とりあえず、それらに至るよ…

興味のあることを整理した覚え書き。これは同様に、(ぼくにとって)いまの社会を把握するための複数の中心点だと考えられることでもある。・ロマンティシズムはいかにして回帰するのか ドニ・ド・ルージュモンが指摘した、制度と情熱との相克のテーマ性は現…

二冊ほど

読んだ本をメモ。 山田風太郎『白波五人帖』(集英社文庫)、『自来也忍法帖』(文春ネスコ)。 『自来也忍法帖』のほうは早々に展開が読めてしまったので興味が持続するかどうか心配だったけれど、短期間で読了。『白波五人帖』は旅行に持っていき、疲れた…

「政治」の周辺

部屋から駅までの道筋に、いまだに選挙の掲示板が立っている。受かった人も落ちた人も分け隔てなく並べているその大きな板に立ち止まったところで、ポスターから何が当落の違いなのかを読み取ることは難しい。 中には「母として起つ。」と書かれたポスターな…

松浦亜弥の表情は豊かか?

サッカーをテレビで見ていて、そのハーフタイムのCMに松浦亜弥が出ていた。紅茶のCMだと思う。その瞬間ぼくの頭にひとつの疑問が浮かび、結局、後半はじめサッカーのほうは気もそぞろになってしまった。 疑問。「松浦亜弥の表情は豊かなのか?」という疑…

「好き好き大好き超愛してる。」

舞城王太郎「好き好き大好き超愛してる。」(『群像』2004年1月号)を読む。以下、ちょっとした感想など。 舞城王太郎はぼくにしてはめずらしく、デビュー当時からわりとコンスタントに読んでいる作家だ。『煙か土か食い物』はなんどか友人に勧め、貸し…

種族としての「おやじ」のつくりかた

短い時間、例えば1〜3時間程度の飛行時間の飛行機に乗ると、飲み物やら食事やらですぐに客室乗務員が来てしまうので、眠ろうと思っても眠れない中途半端な時間が多くなる。なので、そんなフライトの時間を、ぼくはきまって読書の時間にしている。結果、搭…

最低限の繊細さについて

別に用事があるわけでもなかったのだけれど、ふらりと韓国へ行ってきた。で、韓国に行くときには見ておきたいと思っていた板門店(Panmunjom)にも足を伸ばす。 板門店はツアーに参加しないと行けない所だ。現地ツアーにはネットから事前に申し込んであり、…

読んだ本のメモ。 『反社会学講義』(パオロ・マッツァリーノ:イースト・プレス)。 わりと話題になっているらしい本。webでの連載を読んでなかったこともあり、なんとなくで購入。書名に反して実に軽やかな本。おもしろく、それなりに笑えた。こういった内…

審判について

ひさしぶりにJリーグのサッカーをテレビで見る。きょうのアントラーズ対マリノス戦。 ときどき思い出したようにJリーグを見て、それでいつもフラストレーションを溜めることになるのだけれど、その原因は好きなチームが弱いからとかそういうことではなくて…

読んだ本のメモ。 『武蔵野水滸伝』(山田風太郎:富士見書房)。 山田風太郎はずいぶん読んだけれど、この作品は抜けていた。というわけで上下巻集中して読了。感想としては、風太郎の忍法系(というか、妖人系)の作品の中でも群を抜いた、凡作。あいかわ…

『シルミド/SILMIDO』

新宿で『シルミド』(監督:カン・ウソク)を見る。以下、ちょっとした感想など。 朝鮮半島の南北問題について大きな関心を持っているわけでもないぼくだけれど、韓国映画を見る機会はそれなりにある。そうすると、例えば『シュリ』や『JSA』、『二重スパ…

『深呼吸の必要』

歌舞伎町で『深呼吸の必要』(監督:篠原哲雄)を見る。 以下、感想。ちょっとだけネタバレあり。 世の中の、まあ少なくない事柄には理由がある。例えば映画について、多くの人は「ブラッド・ピットの主演作だから」とか、「スピルバーグの最新作だから」と…

読んだ本のメモ。 ずいぶん前に買ったウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』(岩波文庫)が積んだままになっているのを見つけてページを手繰ったのだけど、あいかわらず暗号文を解読するようにしか読めなくて、もうこのままではちっとも進む気がしなくなっ…

拉致関係

新しいカテゴリー。 北朝鮮が騒がしいようだ。 拉致関係の展開とか、それをめぐる報道とかを目にするときにぼくがなんとなく苦い気持ちになるのは、その「当事者」と「評論家」との、接着しっぱなしの状況のせいだ。といっても、「評論家」としての北朝鮮専…

『ビッグ・フィッシュ』

感動作という評判を頼りに、『ビッグ・フィッシュ』(監督:ティム・バートン)を見に行く。 先週の『世界の中心で、愛をさけぶ』に引き続き、ここのところどうもメジャーどころを鑑賞作に選択している。ミニシアター系からはずいぶん遠ざかって。理由は簡単…