「つんく♂」について考えてみたら

ヒマな時間のつぶすときについ寄ってしまうのがぼくの場合本屋と電気屋*1で、昨日も買い物ついでにビックカメラへ。
DVDとかのソフトコーナーでなんとはなしに物色していたのだけど、平積みの一角から「かっちょいいぜ、かっちょいいぜ」という声が聞こえ、すごく不気味な音楽に興味をそそられて流れている液晶テレビの前へ。
つんく♂*2ファミリーである。
正確には美勇伝というグループの『カッチョイイゼ!JAPAN』という曲。ここ数年音楽番組とかもフォローしてないぼくには聞いたことのない三人組だったが、顔をよく見ると中の一人はモー娘の石川梨華である。要するに、切り売り商法で生まれた一グループといったところか。
で、ちょっと不思議に思ったのは、「いまでもモーニング娘。って売れているのかな?」*3とか「いまは何人いるんだろう?」とかそういうことじゃなくて、いったいいつからつんく♂は「こうなったのか」ということである。
「こうなった」とはどういうことか。残念ながら逐一フォローしている人間ではないのだけれど、ときどきTVとか街中でつんく♂ファミリーの曲が耳に入ってくるときに、ぼくはいつも「文部省認定みたいな歌詞だなあ」という感想を抱くのだ。「がんばろう」とか「地球を守ろう」とか「愛が大切」とか、なんかそんなものばっかりのような気がする*4
それに加えて、「日本」である。
考えてみれば『LOVEマシーン』のころから「ニッポンの未来」について思いを馳せていたわけだし、このような方向性は自明だったのかもしれないけれど。それにしても時代を代表「した」音楽プロデューサーが次々に保守的なものや国家的なものに(たとえ求められたものであるにしろ)接近していったことを考えると、つんく♂もまたその方向にしか進みようがないのではないかと思う*5
そう、小室哲哉YOSHIKIに引き続き。
そのへんを含めて、ぼくが見る限り、つんくファミリーの最近のメイン戦略っていうのは「応援」なんだろうと思う*6
東北楽天の公式応援ソングを歌う、新潟県中越地震義援金の活動をする*7、カッチョイイゼとJAPANを応援する。マーケティングとして計算された戦略なのだろうけど、なんというか一貫している*8
で、応援の規模を広げていくと、現代社会ではとりあえず限界点として「国家」に落ち着く。「地球を応援しよう」って言ってみてもなにをどうしたらいいか分からないし、だいたいが環境問題とかと絡まって応援は行き場をなくす。そのため、有機的に人間の比喩が可能な臨界点*9として「国家」「国民」がリミットとなる。
ここでは「応援する側」と「応援される側」とが重なる。例えば、日本人*10が日本を応援する。
完全なマスターベーションである。
「応援が悪い」とはいわないけれど、そこにある一種の胡散臭さみたいなものを感じ取るというのは大切なことだと個人的には思っていて、だいたい応援にある「仮託」みたいな性質も丁寧に扱わなくちゃいけないものだと感じたりもする。しかも、その「応援」の基盤で、応援の中心で叫ばれるのは「愛」だったりするのだから。
う、話がだいぶつんく♂ファミリーから遠のいてしまった。
本当はこういう話にいわゆるモーヲタの人たちを絡めて、「その種の人たちが一番国家的なものに動員されやすいんじゃないか」っていうありふれた話を検討してみるつもりだったのだけど、まあいいや。


*1:電気屋っていうのかな。ビックカメラとか、さくらやとか

*2:♂マークが付くんだね。ことさらに自分がオスであることを強調しなければならない理由でもあるのだろうか。詳しくないので何にもわからん

*3:この点については、「モーニング娘。はひとつの市場になった」と考えれば済むと思う。似たような属性を持った人々が循環して構成する、ひとつの固定された市場。よって、もはやモー娘が世間を席巻する、マスを魅了することは「ない」。断定して、いいんじゃないかなあ

*4:もちろん、個人的な感想です

*5:現に進んでいるんだろうし。http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2005/02/06/01.htmlとか、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050204-00000156-kyodo-soci

*6:「応援」との絡みで最近共感した記事。http://d.hatena.ne.jp/solar/20050306

*7:ホームページ見たらのってたし

*8:成功しているのかどうかは知りませんが

*9:応援が可能な対象

*10:「日本人」って何?みたいな話はここでは問題ではない