最低限の繊細さについて

別に用事があるわけでもなかったのだけれど、ふらりと韓国へ行ってきた。で、韓国に行くときには見ておきたいと思っていた板門店(Panmunjom)にも足を伸ばす。
板門店はツアーに参加しないと行けない所だ。現地ツアーにはネットから事前に申し込んであり、手続きを済ませてバスに乗り込んだところ、乗客の3分の2ちかくは欧米系の人たち。窓の外を見てみるとバスはもう一台あり、そっちはほとんどすべてが日本人だった。ハイシーズンにはまだ早いというのに、ずいぶんな盛況ぶりだ。隣に座ったひとがかなりの事情通で、その人とガイドさんの話を総合したところ、米軍の引き上げに伴う移管作業その他のおかげで前日のツアーが事前キャンセルとなってしまい、結果この週は二日しか開催できなくなったことが影響しているらしい。もしかしたら当分この板門店ツアーそのものができなくなるかもしれないとのこと。いろんなところに経済波及効果が出るものだと、しみじみ思った。
とまあ、そんなこんなのツアー顛末はたいして書くこともないし、そのつもりもない。ただちょっと気になったことが二つほどあって、それぞれがアメリカ人に関するぼくの印象形成にいくつか役に立ってくれたので、それをメモしておく。


ひとつは、バスに同乗したアメリカ人4人組について。通路を挟んでぼくの隣に座っていたこの家族らしいグループのよくしゃべる様子については、たいして思うところはない。日本人のおばさまたちに比べてもたいして目立つものではないし、だいたいどんな場面でも旅行とは楽しいものでいいはずだと思うからだ。
ただ、話している内容が少し気になった。ぼくもなんどか目にしたし、あとで英語での説明用のガイドさん*1がこぼしていたとおり、彼らの会話はほとんどがクレームに類するものだった。例えば、昼食はバイキングだったのだけど、「コーラを飲むなら別料金で4000ウォンかかります*2」というコメントがあった瞬間に彼らから「How Crazy!」という大きな声が上がっていたし、その後も食堂の狭さについてガイドへかなりのクレームをしていた。
また、板門店(JSA)につくと、持ち物はカメラかビデオカメラ本体のみに限られるのだけれど、ガイドの再三の説明にもかかわらず彼らはバッグごと持ち込み、お定まりのコントのように米軍兵士に一時没収されていた。
極めつけはJSAに入る前、国連軍キャンプでのブリーフィング(まあ、スライドを使った事前説明みたいなもの)でのことだ。先ほども少し触れたけれど、このツアーは基本的に、大多数の参加者である日本人向けにできている。そのため説明は日本語ガイドによって行われたのだけれど、もちろんそれでは英語圏の人々にはなんのことかわからないので、彼らにはヘッドホンが用意され、そこから英語で説明が流れるようになっていた。
後で聞いたところによれば、彼らはこれにクレームをつけたそうだ。いわく、「日本語ガイドの説明がかぶさって聞き取りづらく、不親切だ」とのことである。
こういった、この四人組によるクレームが重なって(なかには「昼食がまずい」というのもあったらしい)、ツアーの最後のほうでは英語ガイドさんもずいぶん参ってしまっていた。隣に座っている日本語ガイドさんが助け舟を出していたみたいだけれど、あんまり効果があったようには見えなかった。


ふたつめは、こっちはぼくが直接関係しているのだけれど、JSA見学後に国連軍の(というか米軍の)キャンプに戻り、土産物屋での買い物時間での出来事になる。店内を軽く一周してもう見るものもなくなってしまったので、ぼくは建物の外に出てぼんやりと景色を見ていた。となりには米軍の兵士などもタバコ休憩をしている。平和なんだかそうでないのか、まったく微妙な風景だ。
そうしたなかで、別のバスのツアー客らしいアメリカ人がこの兵士たちに近寄り、なにやらフレンドリーに話し始めた。出身地とか任地とか、そういった感じの話みたいだったけれど*3、ぼくは興味もなかったので風景を見ていた。
肩をたたかれた。振り返るとそのツアー客のアメリカ人がぼくにデジタルカメラを差し出している。どうやらこの米軍兵士たちとの写真を撮ってほしいということらしい。断る理由もないので、ぼくはカウントを取ってシャッターを押した。カメラを受け取ったこのツアー客は走って自分のバスへと戻っていった。さっきからそのバスのほうから時間だと知らせる声が何度となく響いていたのだ。
とまあ、この短い出来事が二つ目の話になる。


ここからぼくが何を思ったかというと、まずかれらに共通していえることは、まず「自分の話している言葉が周りの人間に理解されているということにまで考えが回っていないということ」だ。彼らにとってここは外国であり、基本的に非英語圏である。そう思っているために、会話が他人に聞かれるということ、他人に伝わるということにまで理解が及んでいない。北野武の『BROTHER』じゃないけれど、ぼくたちはだいたいのところ、「ファッキンジャップくらい分かる」わけだ。どこかの英会話学校じゃないけれど、その意味で「英語は世界語」になりつつある*4。そしてそれ以前に、内輪的に言葉を使うことは、公的な場面では見苦しい。
例えば、二つ目の話で気になったのは、言葉もなしに人に物を頼むその態度にある。カウントまでして写真を撮ってあげ、そこで「Thanks」の一言も出ないのはどういうものだろうか。今回、別の観光地を歩いていたときにも、やはり観光客らしき人たちからなんどか写真を頼まれたのだけれど(どうやらぼくは写真を頼みやすい顔をしているらしい)、感謝の言葉を欠いた人たちはいなかった。それだけに、ちょっとこのケースは心に残った。
最初の話と合わせて考えてみよう。いうまでもなく、アメリカも日本もサービスの国である。高度に資本主義が発達した国においては、金銭で取引されるすべてのものが商品となり、支払う側が優位に立つ。自由の国といえば聞こえはいいけれど、そういった呼び名は金銭でもどうにもならないもの(たとえば貴族その他といった身分的なものなど)がないことのひとつの帰結でもある。現代においてはそういったものが目立たない国においてナショナリズムが高揚する。一種の代替物となるからだ。
さて、そうしたサービスの王国はクレームの王国でもある。そしてクレームが顧客満足度を測りそれを高める大きな手段として利用されているように、サービスの王国においては、クレームそのものは供給者に不利益を与えるものではない。
ただ、この場合はそうではないだろうとぼくは思うわけだ。つまり、先に述べたアメリカ人四人組の、板門店ツアーにサービスの王国の原理を持ち込むその態度に、ぼくは大きな違和感を感じたわけである。
いうまでもなく、JSAとは前線である。いかに韓国による太陽政策が一定の効果を上げ、ここ数年は緊張感が薄らいでいるとはいえ、いつどのタイミングで銃撃戦がおきようともおかしくない(この場合の「おかしくない」とは、「不合理ではない」という意味です)地帯なわけだ。実際、米軍の縮小その他による移管でツアー自体がキャンセルになるほど、そこは軍事的な場所なわけである。
ぼくにシャッターを頼んだアメリカ人についても似たような部分がある。米軍兵士にフレンドリーに話しかける彼は、あとでデジカメを再生して、その写真の中では自分ひとりだけが笑っていることに気づいただろう。ぼくにサンキュもいわずに走り去っていった彼を見ていた兵士の一人はそこではじめて軽く笑い、タバコをもみ消した。
板門店もそして北朝鮮もまた、彼らにとってはひとつの「風景」と化しているのかもしれない。記念としてシャッターを押しまくり、ツアーの内容にクレームをつける*5。もともと、JSAを巡るというこのツアー自体が当初はプロパガンダ的な要素を持っていたのかもしれないし、システム自体も歴史の悲劇を観光化することに組しているのかもしれない。しかしながら、それを文字通りの「観光」としてしまうかどうかは参加者の意識の問題だともぼくは思うわけだ。
もちろん、大半のアメリカ人はここまで書いたような行動はとっていない。けれどたしかに、ぼくはなんとなく「うんざり」させられたのであり、その「うんざり」の向こう側に、最低限度の繊細さを欠いているイメージとしてのアメリカを想像せずにはいられなかった。


*1:普段は同乗するガイドは日本語スピーカーしかいないそうだけど、今回は英語圏の人の数が多かったので急遽追加で手配されたらしい。いつもはほとんど「日本人専用の」ツアーと化していることが手に取るように分かる

*2:1000ウォンは約100円

*3:このぼんやり聞こえてきた話で、彼がアメリカ人であることは分かった

*4:グローバリゼーションその他を反映して

*5:ぼく自身の感想としては、食事も含めてクレームをつけるほどのものではなかったと思っている。だいたい、食事とかについても、HPの紹介文その他からしても多くは期待できないことは明らかだし