メディアの新しい形について

まあだいたいこんなところだろうと思っていたあたりに落ち着きそうなフジテレビ・ライブドア問題を見ていると、何が新しい(マス)メディアの形なのか、誰が新しさを担うのかということについて、まったく光が感じられなくなる。おそらく、ライブドア社長は当初からの基本的な目的を果たしたわけだが、その過程でニッポン放送について語っていた言葉は、この結果を見るところまったく実を伴っていなかったといって良いだろう。
まあ、見えないところで何かが決まったというだけの話だ。
もちろん、政治じゃなくてビジネスの話なのだからなにも「見えている」必要などないのだけど、だったらことさら過程において「さぞかし」なアピールはいらなかっただろう。どちらの陣営も。
で、今日から日テレで始まった「A」という番組をちらと見たのだけど、これが何かの新しさだとしたらテレビはすでに終わっている(とぼくは思った)。ネットはずいぶんと小さなものらしい。まあ、既存の「テレビ番組」というフレームに当て込むならこのくらいが制作側の限界なのだろう。
当て込むというレベルに関して言えば、個人的は「DAKARA」のCMの取っているPCインターフェイスというか、Window的な画面構成のほうがよっぽど気になったし、うまくできてるなと思った。ぼく(たち)の認識の幅にはこれくらいがデフォになったほうが心地良い。
それはそれとして、これもまたマスコミが報じていた内容なのだけど、ライブドアは「インターネットとテレビの融合」の一案としてフジテレビ女子アナウンサーのネットでの活用を提案していたらしい。本当だとしたら、その人たちのアタマと口は腐っているに違いない。
まったく、何が新しいというのだろう。
結局のところ、現段階ではライブドアレベルの「インターネットとテレビの融合」は、マスメディアとしてのテレビの資源の有効利用といったレベルでしかないだろう。最低レベルでオンデマンド放送といった、通信手段としてのブロードバンドに焦点化した議論がなくてはいけないのだけど、それは現在のテレビが持っている自動的な広告モデルに激しく抵触する。ゆえに、テレビ側には何の利益も生み出さない。テレビ局の思想とは、「テレビで番組を見てもらうため」にインターネットを活用するというものでしかないからだ。
問題はビジネスモデルなのである。
どう考えればいいのか、いまのところちょっと思いつかないけれど。