読んだ本のメモ。
『反社会学講義』(パオロ・マッツァリーノイースト・プレス)。
わりと話題になっているらしい本。webでの連載を読んでなかったこともあり、なんとなくで購入。書名に反して実に軽やかな本。おもしろく、それなりに笑えた。こういった内容でありながら笑えるというのは、類書にない素晴らしい点だと思う。
印象としては、世の中の、とりわけ「社会学的想像力」の「断定口調」*1にたいして「ちょっとまてよ」といい続けてたら一冊分の分量になったという感じの本。なかでも一番共感を覚えてしまったのが以下の部分。

若者はとかく偽善を嫌うものですが、偽善はやめさせるのでなく、積極的に社会のために利用すべきです(P274)

社会人としてだんだん「固まり」はじめてきた人たちに読んでほしいなあなどと思う。


天使なんかじゃない』(矢沢あい集英社)。コミック。
いま『NANA』が売れている矢沢あいの、十年以上前の作品。学園ラブコメものに分類してしまっていいのだろうか。学園+恋愛。少女マンガの王道といっていいだろう。
いまでも少女マンガは女の子たちのビルドゥングスロマンとして存在しているのだろうか。詳しいことは分からないけれど、十数年前のこの『天使なんかじゃない』を、わかりやすいビルドゥングスロマンであると断定できるかどうかは難しい。この作品には少女や少年たちの成長がたしかに描かれているけれど、それが参照点とするような「大人」が存在しないからである。大人の役割を期待される「先生」やその恋人はまったく安定しておらず、主人公の恋に不可避的に介入する。物語の中盤はそうした関係性を主人公が受け入れようとする*2過程を描いており、そしてそうした物語を「少女マンガ」として支えているのは「学園生活」という、一種の閉じられた時空間設定だといっていい。
この恋愛における「大人」の非−存在(あるいは「大人の恋愛」なるものが存在することの否定)こそが、この物語の本質であるのだと思う。「成長」ではなく「展開」であり、それは「学園生活」という限られた時間軸が介入することによって「成長」に擬態化する*3
まあ、だからなんだという話ですが。おもしろく読ませていただきました。


*1:というか、なんというかマッチョさみたいなもの

*2:そして受け入れきれない

*3:この物語が「恋愛の成就」ではなく「卒業」で終わっているのもそのことと関係する