2004-01-01から1ヶ月間の記事一覧

[愚者読]−『方法序説』

第四部、続き。 私は「疑う」→私の存在は完全なものではない→じゃあ、「完全性」はどこからきたの?→私より完全な存在者(神)からしかないでしょ、とデカルトは考える。 また、私は自分の持たないいくつかの完全性を知っている→でも自分は完全な存在ではな…

[愚者読]−『方法序説』

第四部へ。 「実生活」と「真理探究」とを改めて峻別するデカルト。 前にもいったように、実生活にとっては、きわめて不確実とわかっている意見にでも(・・・中略・・・)従うことが、ときとして必要である(・・・)。しかしながら、いまや私はただ真理の…

[愚者読]−『方法序説』(補足)

西田幾多郎がこんなことを言っていた。 フランス哲学で合理主義といっても、単に概念的でない。デカルトが clare et distincte[明晰判明]という所に、既に視覚的なものがある*1 『方法序説』の中で該当する部分は(いっぱいあるんだけど例えば)こないだ読…

ここのところ時間がない。「時間というのはつくるもの」らしいが、どうにもやり方がわからないし、試してみてもしっくりこない。

[愚者読]−『方法序説』

昨日の続き。 三つの格率について。 (1)自分の国の法律と慣習に従い、そして最も穏健な意見に従って自分を導くこと (2)自分の行動について確固かつ毅然とした態度をとり、疑わしい意見でもそれを採用すると決めたなら、変わらぬ態度でそれに従い続ける…

[愚者読]−『方法序説』

第三部へ。 建築のアナロジーを使って、道徳の規則を語るデカルト。 理性が私に対して判断において非決定であれと命ずる間も、私の行動においては非決定の状態にとどまるようなことをなくすため、そしてすでにそのときからやはりできるかぎり幸福に生きうる…

[愚者読]−『方法序説』

第二部、続き。 デカルトの方法とは何かに入っていく。 私は、これら三つの学問(論理学、解析、代数のこと)の長所を兼ねながら、その欠陥をまぬがれているような、何かほかの方法を求めねばならぬと考えた(P22) で、続けてその方法である四つの規則を…

[愚者読]−『方法序説』

第二部へ。 気になったところ。 [多くの違った人の意見から組み上げられた書物による学問は、]良識あるひとりの人が、目の前に現れる事柄に関して、生まれつきのもちまえでなしうる単純な推理ほどには、真理に近くありえない(P16) また、 [もう何年…

[愚者読]−『方法序説』

第一部から、思ったこと。 良識を静的なもの、固定的なものとして考えるとすると、良識それ自体が展開するということはありえない。良識は人に「そなわっているもの」であり、展開するのはあくまでそれがおりる「精神」だといえる(この短い第一部を読む限り…

[愚者読]−『方法序説』

以下、『方法序説』(中公クラシックス)を使う。引用等も同書から。 第一部 冒頭の一文が今回考えるべきすべてになる。 良識はこの世で最も公平に配分されているものである(P3) さて、どうしよう。立ちすくむ。 本文に沿うなら、「良識=理性=判断力は…

二日目。朝からほんの少し平行世界に思いをよせました。

[愚者読]−『方法序説』

目的 「デカルトにおける『良識』(bon sens)とはいったい何なのか」という○○教授の問いに答えること。 ちなみに、○○教授は「『良識』という日本語訳がおかしいのであり、これは『常識』であり、と同時に連帯的要素を持ったもの、つまりそれを現在の社会的…

リハビリ、開始

状況に事情がいくつか重なって、ひさしぶりにカタい本を読むことになった。 自分の生活にリズムを取り戻すいい機会だ。そう思い、ついでにblog開始。初体験。初々しさ、永遠に繰り返し手に入れたいものなので。