[愚者読]−『方法序説』

第四部、続き。

 私は「疑う」→私の存在は完全なものではない→じゃあ、「完全性」はどこからきたの?→私より完全な存在者(神)からしかないでしょ、とデカルトは考える。
 また、私は自分の持たないいくつかの完全性を知っている→でも自分は完全な存在ではない→なら、私は完全なる存在(神)に依存している、とデカルトは考える。
 このふたつが、デカルトにおける「神の存在証明」と呼ばれているものらしい(あとでもう一つ出てくる)。
 先に進む。

これら二つの本性(知性的本性と物体的本性)から合成されているということは、神のもつ一つの完全性ではありえず、したがって神は合成されてはいない(P45)

 ほかの存在者(人間など)が、二つの本性が合成されることで存在しているものである以上、それら存在は神に依存することで成立しているという文脈(余談:デカルトの思考からすれば当たり前だけど、「合成ということがつねに依存性を示すものであり、依存性は明らかに一つの欠陥である(P45)」という部分は面白かった)。

早々に切り上げ。