2004-03-01から1ヶ月間の記事一覧

『経済学という教養』

稲葉振一郎『経済学という教養』(東洋経済新報社)、ようやく読了。というか、まったく読書が進まない現状に腹が立ったので時間を集中的に投下したら、残っていた半分はあっという間だった。なにごとも覚悟だと実感。 以下、ちょっとした感想。 正直言って…

『サブカルチャー文学論』

大塚英志『サブカルチャー文学論』(朝日新聞社)、読了。休み休みだったのでずいぶん時間がかかった(だいたい、ちょっとおかしいくらい厚かったし)。ぼくには馴染みの薄い作品もずいぶん扱われていて(例えば新井素子は『グリーン・レクイエム』とあと一…

『花とアリス』

少し映画づいている。せっかく見たのでなにか書いておこうと思い、今回は『花とアリス』。事前知識はほとんどなしで見た(まあ、そうはいってもTVCMで流れてた「キットカット」の映像くらいは覚えていたんだけれど)。 まずはじめに断っておくと、ぼくはいま…

『イノセンス』(続き)

(3) 以前このblog内で確認したことだが、「理性」は『方法序説』においては「良識」であり、万人に公平に配分されている資源的能力である。これは能力であるという点で「精神(心)」とは別のものであるということは確認する必要がある*1。すなわち、ここ…

『イノセンス』(続き)

(2) 前回も触れた、バトーの傷ついた身体が修復されるシーンでは、どこまでがおれのオリジナルか?という問いに対し、医者(?)がDNA情報はちゃんと受け継がれてるよと答え会話は打ち切られるのだが(このシーンは特に記憶があいまい)、このやりとり…

『イノセンス』

ひさしぶりのblog更新。今回は昨日見た映画『イノセンス』(監督:押井守)について、少し考えてみたい。 昨日は『イノセンス』と立て続けに韓国映画の『ラブストーリー』も見ていて、『猟奇的な彼女』がひどく気に入っていたぼくはそっち(同じ監督クァク・…

[愚者考]−『方法序説』

(5) いま「世界」について考えるとき、『方法序説』からいったい何を取り出すことができるだろうか。改めてそのことだけに集中してみたい。 まず、「判断のレベル/行動のレベル」の区分を思い出してみる。ここで具体的な他人とのコミュニケーションが属…

[愚者考]−『方法序説』

(4) さて、ここまで考えてきたことからいったいどんなことをぼくは言うことができるだろうか。 『方法序説』においては、いくつかの区分が交錯されることによって考察が展開されている。なかでもとりわけ重視するべき区分は、「判断のレベル/行動のレベ…