2004-08-01から1ヶ月間の記事一覧
先週、部屋のエアコンが壊れて思ったこと。 暑いのが苦手なぼくは冷房が効かなくなると何もできなくなってしまって、日記の更新どころか各種本当にやらなくちゃいけないことにまで手がつかなくなる。 でも空調設備が整っていなかった時代というのはそんなに…
友達が置いていったanan(マガジンハウス)をめくる。 ぼくはこの手の雑誌(の男子版)を読んでいた記憶がほとんどなくて、もっと全然「ファッション」よりのメンノン*1とかも10代を通り過ぎてからは買ってない。実際服とか、もうブランドやショップが決ま…
きょうは調子が悪くてどうにも飲みに行く気分にならなかったので、誘いの電話がある時間帯に携帯の電源を切っておいた。最近は嘘をつくのも面倒になっている。夏の暑さのせいかな? 夏の暑さのせいだ間違いない。 そういうわけで、部屋でぼんやりしつつテレ…
あーうー言ってるうちに盆も終わってしまった。 盆前に考えてたことの絡みでいくと、PRIDEグランプリも新日のG1もオリンピックの陰に完全に隠れたままで終わってしまったし。 今回のPRIDE(の結末)は、完全にこのあいだまで書いていた[K-1の終焉]の文脈の中…
最終回。 (7) このことが引き起こしている事態について、いくつかの周辺的な事例を挙げよう。 まず、現在の格闘技界においては、「強さ」をめぐる言説が非常に偏った形で分布している。 例えば、先にも挙げた今年5月の「K-1 ROMANEX*1」での中邑真輔(プ…
前回からの続き。 (6) そしてこのマンガ*1の帰結は、今後の格闘技を考える上で非常に示唆的なものだとぼくは考えている。 格闘技界において80年代に起こった新たなリアルを求める運動は、「セメント」への志向とが、どのようにして「ショー」と整合性を…
(4)からの続き。 (5) ここまで、80年代プロレスで生まれたUWFという特異な運動が提出した「リアルをめぐるいくつかの問いかけ」をたどることで、K-1の成功と(現在の)衰退の理由を簡単に見てきた。そこで問題となっているのはK-1のジャンル化であり…
前回からの続き。 (4) こうした状況を象徴するプレイヤーとしてボブ・サップをあげることができるだろう。元NFL選手という肩書きを持つサップはさほど注目されるプレイヤーではなかったが、PRIDEで圧倒的な「パワー」を見せ付けることによって頭角を現…
(2)の続き。 ではなぜ、K-1は終焉を迎えた(あるいは、迎えつつある)のだろうか。 理由のひとつとして、その成熟と隣り合わせにある「スポーツ化」を挙げることができるだろう。 近年のK-1を観ていて如実に感じられることはそのKO率の低下である。判定…
(1)からの続き。 (2) まず、RINGSはその来歴からして「プロレスの呪縛」から抜け出すことができていなかった*1。プロレス的なスターシステムに色気を見せることはリアルファイトへの志向と両立しない。結果、早い段階で「有力選手」と「その他」とが分…
今日から何回かに分けて「K-1の終焉」について考えてみる。これは、格闘技というものに仮託した、「ショーの臨界点」についての印象論である。 (1) 「K-1の時代」は終わりを告げた。もはや、一世を風靡することは永遠にないだろう。格闘技の一ジャンルと…
昨日の今日でまたという感じなのだけれど、サッカーアジアカップでの中国観衆の一連のブーイングに関して、こんなニュースがあった。 河村文部科学相は閣議後の記者会見で、「スポーツに政治的なものを持ち込まない大原則について、中国政府も十分対応してほ…
ぼくは「健全なナショナリズム」という物言いを認めない人間の一人だ。 ナショナリズムの存在や、それが人々の心や考え方の「ひとつ」のフレームになっていることを否定するつもりはまったくない。だいたいそんなことは不可能でもある。 だけど、それがもつ…