印象論

K-1の終焉(7)

最終回。 (7) このことが引き起こしている事態について、いくつかの周辺的な事例を挙げよう。 まず、現在の格闘技界においては、「強さ」をめぐる言説が非常に偏った形で分布している。 例えば、先にも挙げた今年5月の「K-1 ROMANEX*1」での中邑真輔(プ…

K-1の終焉(6)

前回からの続き。 (6) そしてこのマンガ*1の帰結は、今後の格闘技を考える上で非常に示唆的なものだとぼくは考えている。 格闘技界において80年代に起こった新たなリアルを求める運動は、「セメント」への志向とが、どのようにして「ショー」と整合性を…

K-1の終焉(5)

(4)からの続き。 (5) ここまで、80年代プロレスで生まれたUWFという特異な運動が提出した「リアルをめぐるいくつかの問いかけ」をたどることで、K-1の成功と(現在の)衰退の理由を簡単に見てきた。そこで問題となっているのはK-1のジャンル化であり…

K-1の終焉(4)

前回からの続き。 (4) こうした状況を象徴するプレイヤーとしてボブ・サップをあげることができるだろう。元NFL選手という肩書きを持つサップはさほど注目されるプレイヤーではなかったが、PRIDEで圧倒的な「パワー」を見せ付けることによって頭角を現…

K-1の終焉(3)

(2)の続き。 ではなぜ、K-1は終焉を迎えた(あるいは、迎えつつある)のだろうか。 理由のひとつとして、その成熟と隣り合わせにある「スポーツ化」を挙げることができるだろう。 近年のK-1を観ていて如実に感じられることはそのKO率の低下である。判定…

K-1の終焉(2)

(1)からの続き。 (2) まず、RINGSはその来歴からして「プロレスの呪縛」から抜け出すことができていなかった*1。プロレス的なスターシステムに色気を見せることはリアルファイトへの志向と両立しない。結果、早い段階で「有力選手」と「その他」とが分…

K-1の終焉(1)

今日から何回かに分けて「K-1の終焉」について考えてみる。これは、格闘技というものに仮託した、「ショーの臨界点」についての印象論である。 (1) 「K-1の時代」は終わりを告げた。もはや、一世を風靡することは永遠にないだろう。格闘技の一ジャンルと…

血液型トークについて

ぼくはカラスが本当に苦手で、あの黒い姿にはいつも恐怖を覚えるのだけれど、それと同じくらいに苦手なもののひとつに「血液型トーク」がある。 例えば、一通りの自己紹介が終わったあとに初対面の女の子とのあいだで唐突に*1、 「血液型、なんですか?」 「…

高校野球について(2)

前回ぼくは、高校野球の中心的な要素とはスポーツ性ではないと述べた。これはひどく暴力的な物言いであるため、前もって以下のことを断っておくべきだったかもしれない。 それは、「高校野球」という言葉は外部記述として使われているということである。つま…

高校野球について(1)

7月も後半にもなると毎年のように「今年も球児たちの暑い夏がやってきます」的な女子アナの声*1がテレビから聞こえるようになる。球児たちの暑い夏、高校野球の夏である。 もっともこの高校野球に対しては、それなりに批判もあるらしい。 昔から「なんで野…

「政治」の周辺

部屋から駅までの道筋に、いまだに選挙の掲示板が立っている。受かった人も落ちた人も分け隔てなく並べているその大きな板に立ち止まったところで、ポスターから何が当落の違いなのかを読み取ることは難しい。 中には「母として起つ。」と書かれたポスターな…

松浦亜弥の表情は豊かか?

サッカーをテレビで見ていて、そのハーフタイムのCMに松浦亜弥が出ていた。紅茶のCMだと思う。その瞬間ぼくの頭にひとつの疑問が浮かび、結局、後半はじめサッカーのほうは気もそぞろになってしまった。 疑問。「松浦亜弥の表情は豊かなのか?」という疑…

種族としての「おやじ」のつくりかた

短い時間、例えば1〜3時間程度の飛行時間の飛行機に乗ると、飲み物やら食事やらですぐに客室乗務員が来てしまうので、眠ろうと思っても眠れない中途半端な時間が多くなる。なので、そんなフライトの時間を、ぼくはきまって読書の時間にしている。結果、搭…

最低限の繊細さについて

別に用事があるわけでもなかったのだけれど、ふらりと韓国へ行ってきた。で、韓国に行くときには見ておきたいと思っていた板門店(Panmunjom)にも足を伸ばす。 板門店はツアーに参加しないと行けない所だ。現地ツアーにはネットから事前に申し込んであり、…

審判について

ひさしぶりにJリーグのサッカーをテレビで見る。きょうのアントラーズ対マリノス戦。 ときどき思い出したようにJリーグを見て、それでいつもフラストレーションを溜めることになるのだけれど、その原因は好きなチームが弱いからとかそういうことではなくて…

拉致関係

新しいカテゴリー。 北朝鮮が騒がしいようだ。 拉致関係の展開とか、それをめぐる報道とかを目にするときにぼくがなんとなく苦い気持ちになるのは、その「当事者」と「評論家」との、接着しっぱなしの状況のせいだ。といっても、「評論家」としての北朝鮮専…