K-1の終焉(3)

(2)の続き。



ではなぜ、K-1は終焉を迎えた(あるいは、迎えつつある)のだろうか。
理由のひとつとして、その成熟と隣り合わせにある「スポーツ化」を挙げることができるだろう。
近年のK-1を観ていて如実に感じられることはそのKO率の低下である。判定にもつれこむ試合があまりに多い。これは例えばボクシングなどと比較するとそれほど目立ったものではない(と思われる)が、しかしK-1はその始まりから「分かりやすさ」とともにあった。打撃によるKO決着が多いことこそが、他の団体に対してK-1が持っていた優位のひとつだったのである。
K-1がメジャーになるにつれて、各選手もまたその「競技的な」勝利を至上目的とするようになる。結果、ルールに精通し、そのなかでいかにして自分に優位なジャッジを引き出せるかなどといった「スキル」の向上が図られる。KO至上主義が薄れるのだ。
先にも触れたが、この傾向を代表する選手がアーネスト・ホーストである。K-1第1回GPから今日に至るまで常に第一線で活躍し続けているホーストは、実に4度にわたってGPチャンピオンに輝いている。K-1を代表する名選手である。彼のスタイルはパンチ・キックのコンビネーションを中心としており、その打撃の精密さから「ミスター・パーフェクト」の呼称が与えられているのは周知の事実だ。「技」の選手なのだが、実はKO率もそれなりに高い。しかしながら、実に10年間にわたって第一線で活躍することによって、彼の「クレバー」な「負けない」スタイル*1K-1のなかに浸透し、その「スポーツ化」の傾向が促されたのは否定できないだろう。
このK-1のスポーツ化はKO率の低下*2につながり、それと同時にルールの枠内での「負けないスキル」の蓄積を選手に要求することになった(これはつまり、「セメント」であることが導いた逆説的な事態なのであり、「ショー」の危機なのである*3)。後述するが、そのことがK-1の「立ち技系の各格闘ジャンルを統合する場所」というレベル付けが引き下がる、ひとつの要因となる。まさにK-1自身がそうした「各ジャンル」のひとつとなっていくのである。
つぎにK-1衰退の理由の二つ目として、「立ち技」「打撃系」からの越境が考えられる。
上で挙げたようなスポーツ化による停滞を避ける意図もあったのだろう、2001年ごろからK-1は他団体との交流を始める。それは具体的には「総合格闘技*4」のステージであるPRIDEとの交流という形を取った。この試みは当たり、K-1が送り込んだミルコ・クロコップの活躍や、PRIDEでの活躍からK-1ファイターへといつのまにか転身を遂げていたボブ・サップの社会現象化などによってK-1はいっそうの盛り上がりを見せる。
しかしながら、それはK-1が本来自らをポジショニングしていた「立ち技世界最強」という枠から大きく逸脱することを意味していた。K-1人気は格闘技に対する一般の観衆の目を肥えさせることになったのだが、そうした視線からしてみれば、K-1総合格闘技に比べてルールの制約が多いように見える。まして、K-1自体の大会でのKO率は下がり、一方でK-1ファイターが外部に出て行う試合には壮絶なまでのファイトが増えていったのである。
同じ「セメント」の勝負であるならば、ルールの制約が少ないほうがより「誰が一番強いのか」という問いかけに答えることができる。ルールの少ないほうが、「格闘技のスポーツ化」という硬直性から免れることができるのはいうまでもない。つまり、そこではいまだに「セメント」が「ショー」になりえるのである。



(4)へ続く。
今日のは、ちょっと短いかも。

*1:肉体的なハンデ(パワー面の衰退)をスキルによって補う

*2:KO率の低下の理由としては、ほかに各選手間の実力の均衡なども考えられるが、それはあくまで二次的な結果論であるようにぼくには思われる

*3:繰り返しになるが、K-1はその発端において<「セメント」が「ショー」となることの発見>とともに現れたのであり、スポーツ化はそれを打ち消してしまうがゆえに「危機」なのである

*4:<ルールの制限が少なく、打撃、投げ技、固め技(押さえ込み・関節技・絞め技)が使用できる、いわゆる「なんでもあり」の格闘技>のこと(「ウィキペディア」内の「総合格闘技」より)