K-1の終焉(4)

前回からの続き。



(4)
こうした状況を象徴するプレイヤーとしてボブ・サップをあげることができるだろう。元NFL選手という肩書きを持つサップはさほど注目されるプレイヤーではなかったが、PRIDEで圧倒的な「パワー」を見せ付けることによって頭角を現し、K-1を代表する選手の一人となった。サップはその恵まれた体躯とキャラクターとを存分に生かして、K-1のみならず新日本プロレスのリングでも戦ってもいるし、実際先日まではIWGP*1の王者だった。そして彼がそのIWGPのベルトを返上したきっかけこそが、K-1が自ら総合格闘技のルールを採用して行った興行である「ROMANEX」内の、藤田和之戦での惨敗だったわけである。
このように、サップは「拡張していく」K-1の象徴のような存在であると同時に、プロレス/PRIDE/K-1といった「垣根」「境界」を自在に行き来し、それぞれを活性化するトリックスター的役割も果たしたといえる。しかしながら、トリックスターの働きが活性化を生み出す状況は、あくまで複数の世界の「境界」がはっきりとしていることを前提とする。「/」があるからこそのトリックスターなのである。
つまり、あまりに注目され、そしてK-1はその価値にあまりに振り回されたおかげで、サップはトリックスターとしての役割を超えてひとつの現象となってしまった。結果、例えば「K-1 BEAST*2のような大会までが開催されることとなり、そうした流れはますます「/」を曖昧にしていった。
このことは第一の理由と合わせて、K-1のポジショニングを引き下げる。すなわち、それまで「立ち技世界最強」の看板とともに各格闘ジャンルの上位に自らを位置づけていたK-1が、PRIDEや「プロレス」との交流や、それらを縦横無尽に行き来するプレイヤーの存在によって、自らをそれらと拮抗する一ジャンルへと*3格下げしてしまったのである。
以上がK-1が衰退した(している)大きな要因である。それらを通して、K-1は<「誰が一番強いのか」という身も蓋もない問いかけ>に対する「所有権」を失ったのだ。



次回でまとめよう。

追加。
そんなこんな書いてるうちに曙太郎がまたK-1ラスベガスで負けたらしい(http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/k1/live/200408/07/index.html)。
曙については「何をしたいのかがまったく見えない」ので評価のしようもないし、格闘技全般に及ぼす影響力もまるでないと個人的には思っている。まるで「ショー」に対する意識が感じられない選手だ(「いい人」なのはよく分かるけれど)。
なんで「いまの」K-1なのか。なぜ「立ち技」「打撃系」なのか。曙にはそこに対する必然性がない。「契約だから」仕方ないのなら、相撲界から抜け出てまでいったいこの「横綱」は何をしているのだろうか。
K-1も、自分たちがこのビッグネームの可能性を「潰している」ことに、いい加減気づいているだろうに。

*1:池袋ウエストゲートパーク』ではなく、プロレスのタイトル(INTERNATIONAL WRESTLING GRAND PRIX)。基本的に新日本プロレスと共にある

*2:もちろん、BEASTとは「野獣」ボブ・サップの呼称である

*3:あるいは、「総合格闘技」というものの「下位ジャンル」へと