K-1の終焉(2)

(1)からの続き。



(2)
まず、RINGSはその来歴からして「プロレスの呪縛」から抜け出すことができていなかった*1。プロレス的なスターシステムに色気を見せることはリアルファイトへの志向と両立しない。結果、早い段階で「有力選手」と「その他」とが分離し、(例えば前田VS佐竹といったような)誰もが見たいと思うようなカードは難しくなる*2
また、格闘技に免疫のない人間にとっては、ルールが可変的で複雑すぎた。例えばディック・フライの強さはあくまで「立ち技」の枠内でのものあったし、寝技抜きのヴォルク・ハンなども想像できなかったように、登場する選手によってルールが変化することは「世界最強」のキャッチからはほど遠かった。
つまり、「分かりやすくなかった」のだ。
世間に受け入れられるためには、プロレス的な物語(語るものとしての格闘技)は「余計」であったし、ダブルバインドともいえるルールも、予定調和的なスターシステムも不要だった。つまりここにおいて必要とされたことは、徐々に「外部への越境」「虚実の仕切り直し」を試みる過去参照的な姿勢ではなく、メーターを一気に分かりやすさ、単純さのほうへと振り切る「蛮勇」だったといえる。
そうした中で、前年終わりにRINGSから撤退していた正道会館石井館長により*3、第1回K-1グランプリが1993年4月に開催される。格闘技ファンには当時無名であったブランコ・シカティックの優勝によってインパクトを与え、またTV局と結んだ全国放送、そして打撃のみという分かりやすさと高いKO率とによって世間に広くアピールすることに成功したK-1はその後の最盛期の礎を築き始める。
K-1の特筆すべき点は、それがRINGSなどに見られた難点に対し何らかの形で回答を出している点にあった*4。すなわち、ルールの複雑さがもたらすヒエラルキーの不成立に対しては、自ら「立ち技世界最強」をうたうことによって回避しルールを簡略化、「打撃」に特化することによって事前知識がなくても観ることができるスタイルを確立する。また、スターシステム(ネームバリュー)に対しては完全なトーナメント方式を配置*5し、また無名選手を多く発掘することによって「実力のみが通用する下克上」の雰囲気が醸成された。
しかしながら、K-1を考える上でもっとも重要な点は、それが「セメント」(ガチンコ勝負)が「ショー」となることを発見し、それを興行的に成功させたことにある。それまでの格闘技、分けてもプロレスは「ショー」であるために自分たちの試合の周辺に過剰とも言える物語を組織したわけだが、そのことは同時に観客に文脈を読み取る能力を要求した。確かに、そうした物語は「セメント」が不可能であるが故の代替物だったのかもしれないが、そのためにプロレスは「マッチョな人間関係」の巣窟と見られていたわけであり、同時に女性客をはじめとする一般の人たちを観客とすることに失敗してきたとも言える*6
そしてそのことはすなわち、運動としてのUWFが、(その人的後継の団体である「UWFインターナショナル」や「パンクラス」などではなく)「K-1」によって「露骨な形で」結実したという事実を意味するのではないだろうか*7
日本格闘技界において、ここに「ショー」をめぐるひとつの大きな転換がなったのである。
第1回グランプリ以降のK-1の隆盛については言を俟たない。アンディ・フグピーター・アーツなどの活躍によって創設期はまもなく安定期に移行し、さらにマイク・ベルナルドジェロム・レ・バンナなど、入れ替わり立ち代わり有力選手が現れる。
また、「立ち技世界最強」の名にふさわしく、空手からキックボクシング、カンフー、ムエタイ、プロレス、ボクシングなど、多様なジャンルから選手がそのマットへ集まってくるようになり、それによってK-1はそれらのジャンルに対して一段上のレベル付けを自らに可能にした(K-1は各ジャンルを、「打撃」「立ち技」といった、より大きなカテゴリーによって包み込んだ。つまりジャンルの違う格闘技が競い合う「場所」として、自らを位置づけたのである)。


さて、ここまでを簡単にまとめておこう。
プロレスという、いわば過剰な演出(物語)によって試合が支えられている「ショー」に対し、80年代にプロレス内部から立ち上がったUWFという運動は新たな時代のリアルを模索するものであり、その点において時代を象徴していた。しかしながらその運動はその出自や力関係のためにあくまで「プロレスの自己改革」という枠内に縛られ、ゆえにその「外部への越境」「虚実の仕切り直し」は自己参照的(過去参照的)とならざるをえなかった。また、リアルの内実を「セメント」(ガチンコ勝負)への志向性に求めたために、プロレスをめぐる「過剰な物語性」は手付かずのままに温存された。
一方で、そうした「虚実の仕切り直し」とセットとなっていた<「誰が一番強いのか」という身も蓋もない問いかけ>もまた、現実的な着地点を探して浮遊していた。そしてUWFの流れが拡散する中で、それらの抱えている問題に対する回答を携えて「K-1」が登場する。「セメント」が「ショー」となることを発見したK-1は、その分かりやすさと従来型のプロレス的要素(過剰な物語性)の切捨てとによって広い層に受け入れられることとなる。そして同時に、K-1は立ち技系の各格闘ジャンルを統合する「場所」としての意味を持っており(「立ち技世界最強」)、それによって先の<「誰が一番強いのか」という身も蓋もない問いかけ>に対して「所有権」を主張することができた、というわけである。
しかしながら、そうしたK-1の持っていた優位性は、現在急速に失われつつある。



以下、次回へ。

*1:なお、ここではRINGSについて、「セメント」だった/じゃなかったには触れません

*2:実際、実現しなかった

*3:「格闘技オリンピック」などについての言及は省く

*4:一方で、それらの利点をも貪欲に取り込んでいる。例えば、先に述べたTV局との関係の重視や、RINGSに顕著な海外とのコネクションなど

*5:GPについては

*6:プロレスにおける「ごつさ」がK-1では脱色されていた

*7:「リアル」と「ショー」とをめぐる関係性の針が一気に振れることによって、その「表裏一体」が暴露されたという言い方もできる