K-1の終焉(7)

最終回。



(7)
このことが引き起こしている事態について、いくつかの周辺的な事例を挙げよう。
まず、現在の格闘技界においては、「強さ」をめぐる言説が非常に偏った形で分布している。
例えば、先にも挙げた今年5月の「K-1 ROMANEX*1」での<中邑真輔(プロレス)vsアレクセイ・イグナショフK-1)>の一戦。前年大晦日の「K-1Dynamite!!」 でイブナショフに一方的な試合*2をされた中邑は、この試合でその雪辱を果たしたわけだが、その試合後のインタビューで中邑は次のように話している。

 ルールの不備は抜きにして、前回はテンパッていた。今回とは精神面で雲泥の差がある。1Rで終わると思ったと思ったが、結果オーライ。これで本業のプロレスに邁進できる。「玄米ドライバー*3」と言う技は出なかったが今後の楽しみに取っておく(笑)。

――どんな技?

 危険な技、プロレスでは使わない(笑)。

――年末から今日まで長かった?

 今は清々しい、気持ちいい。(年末)は今日の為のお膳立てだったのかも。

――プロレス勢は全勝したが?

 プロレスの逆襲。プロレスファンは元気になったと思う。また、何時の日とは言わないけど。(プロレスが)勝ちまくって、違う形で戻ってきたい。プロレスラーは強いんです!
スポーツナビより引用。http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/k1/live/200405/22/a08.html

このインタビューの中には注目すべき点が3つほどある。
まず、「これで本業のプロレスに邁進できる」という言葉。
さらに、中邑がこの試合のために「プロレスでは使わない、危険な技」を用意していたということ。この言い方にはもちろん「プロレスでは使えない(ほど)危険な技」という含みがある。
そして、桜庭和志の名言である「プロレスラーは強いんです!」の再現。
これらは次のことを意味している。すなわち、中邑はこの試合を「プロレスとはまったく違ったジャンルでの戦い」としてとらえており*4、そしてそれは「プロレスでは使えないほど危険な技を使ってもいい」ほどに「真剣勝負」であると考えていること。さらに、「強さ」にコミットする言説(「プロレスラーは強いんです!」というセリフ)はもはやプロレス自身の中からは生まれず、逆説的にそれ(「強さ」の言説)が「総合格闘技」にあるということを示している。
つまり、ここで中邑は「強さ」を証明するために総合格闘技のルールで戦い勝つ必要があったのであり、そのことはとりもなおさず<プロレスが「強さ」を他分野から密輸入している>ことを意味する。もはやプロレスラーの強さは自給自足で成り立っていない。ここでははっきりとプロレスの独立性、自立性が崩れているのだ。
この中邑の例は、ここまで述べてきた「純粋な物語の回帰」という事態に完全に寄り添うものだといえる。そして、興行を実際に取り仕切るプロデューサーが選手たちよりもいっそうこのことに自覚的であるのは当然なことでもある。
現在PRIDEの統括本部長としてそのプロデュースを担っている高田延彦もまた、こうした事態に対して自覚的な人間の一人であると思われる。例えばあるインタビューの中で*5、高田は「総合格闘技」と「プロレス」とをどう捉えているか次のように話している。

 現在、高田は強さ追及のPRIDE統括本部長を務める傍ら、エンターテイメント色の強い新たなプロレス興行、ハッスルも並行させる。対極的な2つの興行だが「会場に足を踏み入れるたびに体が震えるほどの緊張感を覚えるのがPRIDE。もう一方は、肩の力を抜きつつ真剣に楽しめるのがハッスル」と言う。
 高田「対決構図、ストーリー性、キャラクターがハッキリしているのがハッスル。子供に分かりやすいし、うまくいけば幅広い層で注目される。ハッスルの選手にしかできないものをやれば、もう1度プロレスがビッグイベントに返り咲く時代が来ると思う」

ここでも「強さ」「緊張感」はPRIDEに帰せられているのだが、その一方で高田はPRIDEの対立項としてハッスルを考え、その興行を行っている。ハッスルから「強さ」は分離されている。しかしながら高田はPRIDE的なものがどこまで「ショー」として存続しうるのかについて、おそらく考慮に入れているだろう。UWFの流れの真っ只中にいたプロレスラー高田がそのことに無自覚であるはずはないが、PRIDEに比べてハッスルはあまりに知名度が低く、一部のファンだけのものであることも現実といえる*6


このように、現在の格闘技界においては、「強さ」をめぐる言説が非常に偏って分布している。そしてこの事態こそが、K-1が掘り起こしてしまった「純粋な物語」の結果であり、そしてその帰結としていやおうなしにK-1は終焉を迎えるのだ。



以上。
けっこう長くなった。だらだら書いてても着地点が分かってればわりと楽なもの。最後がちょっとバラついたけど。時間があるときに加筆・修正しておこう。


*1:考えてみればこの大会名自体、前回ここで展開した論理を象徴しているといえる。ROMANにも、ROMANTICにもつながる名だ

*2:試合自体は後からノーコンテストとなったが

*3:ネタなのかな。そこら辺は詳しくないのでよく分からない

*4:さらに、それを自分の成長のために必要なものとして考えていること

*5:http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/interview/2004/sun040328.html

*6:このプロデューサーとしての高田と共犯関係にあるのが小川直也である。好き嫌いは別として、現在の格闘技界の中で小川のみがエキセントリックな存在であるとぼくは考えている。例えば現在、小川は「ハッスルの普及」のためだけに(と称して)PRIDEグランプリに参戦しているが、前述の中邑とはまったく違って、小川はそのことで「強さの言説」にコミットしていない。ハッスルへと「強さ」を輸入しようとする意図がまるで見えないのだ(そのため悲壮感もない)。さらに、http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/column/200407/at00001552.html の記事などから読み取れることもまた、小川が「強さの言説」をスルーしたままで「ショー」の行く末について自覚的であるという内容である。この元柔道チャンピオンについてはいろいろと考えたいこともあるのだけれど、とりあえず15日に迫ったグランプリを注視することにしてここでは詳しく触れない