審判について

ひさしぶりにJリーグのサッカーをテレビで見る。きょうのアントラーズマリノス戦。
ときどき思い出したようにJリーグを見て、それでいつもフラストレーションを溜めることになるのだけれど、その原因は好きなチームが弱いからとかそういうことではなくて*1、ゲーム自体があんまり美しくないことと、そしてなによりスムースさに欠けていることがぼくにとって大きな理由になっている。
今日の試合の場合は、言ってしまえば「審判のレベル」である。
ぼくは審判(特に主審)というのは試合をつくる人だと思っている。「選手が試合をつくる」というのとはまた違ったレベルでの話で。
笛を吹きまくって試合を止めまくるとか、そういったことを避けるのは当たり前の話だけれど、それだけではなく、例えばダービー戦は熱くなる選手たちを抑える意味で厳しくジャッジしたりとか、ホームとアウェイの差に配慮をするだとか。
要するに、その試合が置かれたコンテクストをいかに把握し、それに応じた試合をつくっていけるかどうか。それがもうひとつの審判の能力となる。例えばコリーナが素晴らしい審判だと評価されているのは、試合の中でのジャッジに加えて、そうした文脈を読み取る能力に優れているからだとぼくは個人的には考えている*2
で、本日のアントラーズマリノスの試合である。
不満はいくつもあるけれど、この試合についてはただ一点、後半冒頭での本山の退場(二枚目のイエローカードによる)のみが重要である。
このジャッジについてはおかしいと思うのだけれど、審判の判定が微妙であることは常だからしかたがない。しかしながらこの試合においては、本山についての微妙な判定は二度目であり、しかも前半の一回目も主審はイエローカードを出しているのだ。
この一度目のカードは、自陣の奥深くでカウンターのため軽くドリブルを始めたドゥトラを本山が後ろから倒したためのカードだった。しかしながら、テレビで見る限り本山はほとんどドゥトラの身体に触れていないし、そもそもマリノスの陣の深いところだった。これもまた、微妙なジャッジなわけである。
微妙なジャッジが二度続き、結果アントラーズの10番は退場となった。
さて、この試合は、実は優勝の行方がかかっている大切な一戦である。この試合でマリノスが勝てばその優勝が決まる。しかし、もし勝てずに、別会場で試合をしているジュビロが勝てばマリノスは優勝を逃してしまう(ジュビロの優勝となる)。そういった試合なわけだ。
そのような重要な試合が、後半冒頭から11対10という形で行われてしまう。しかもその原因は不明瞭なジャッジである。そのような微妙なプレーを繰り返した本山にはもちろん責任があるが、これは明らかに審判がコンテクストを読みきれずにジャッジをしている例となるだろう*3
こんな判定が大一番で行われ、試合の持っている文脈的な意味を損なってしまう。そこでぼくはフラストレーションを溜め込むことになるのであり、結果、Jリーグから目も足も遠ざかることになる。当たり前の話である。
審判はもちろん演出家ではない。だからこそ、「おもしろくない展開」を演出することを注意深く避けなければならない。
まあ、そうした点に対する教育は難しいだろうし、サッカーという「文化」の蓄積に負うしかないのかもしれないけれど。


*1:阪神ファンを考えれば分かるように、ファンというのは「そのチームがどんな状況に置かれようとファンであることを止めない人たち」が中心にいる

*2:こういった能力は「意味」に関わるために、頭の中が筋肉の人にはまったく向かない

*3:まさかこの状況で「マリノスがホームだから」ああいう形になったとは考えにくい