拉致関係

新しいカテゴリー。
北朝鮮が騒がしいようだ。
拉致関係の展開とか、それをめぐる報道とかを目にするときにぼくがなんとなく苦い気持ちになるのは、その「当事者」と「評論家」との、接着しっぱなしの状況のせいだ。といっても、「評論家」としての北朝鮮専門家がうっとうしいとか、彼らの意見が苦手だとか、そういうことが気になるわけじゃない。それは彼らの知性の問題だし、そういう存在がただメディアに必要とされているだけの話だから。
ここで言う「評論家」というのは、いってみればいわゆる「家族会」(とか、あと「救う会」)みたいな人たちのことだ。拉致問題といったときに、もちろんそれは一義的にはいわゆる「拉致被害者」を中心として語られる問題なはずなのだけれど、彼らは基本的に「不在」だったわけで、その結果として彼らの人生に関わる人(まあ、家族とか)が中心となってその言説を整えてきた。
この時点では、被害者の家族たちは間違いなく「当事者」だったわけだ。そこでは(息子を娘を)「失ったこと」が言説の芯であって、よって(段階を踏んだ)「奪還」こそがその最終的な目的だった。
さて、かくも長き「不在」は(それが部分的であるとしても)「存在」へと転化した。不在であった拉致被害者が姿を現し前面化した状況こそが、二年前の「帰国」以後の現実なわけだ。このことはすなわち、観察者の「当事者」カテゴリーを、「家族たち」から「被害者本人」へと移した。
ここにいくつかの問題が生じた。
ひとつは、いわゆる「洗脳」問題だ。「あんな国に長いこと暮らしてきた以上、その文脈上で話される言葉は本当の彼らの言葉ではない」とでも簡略化できる命題が、自明に真であるかのように流通した。その是非は置いておくとしても、ただそれが結果として、<「脱洗脳者=再洗脳者」としての「家族たち」の言説が、「被害者本人」の言説として浸透している>というイメージを観察者にある程度定着させた。そのことも手伝って、観察者からは<何が「被害者本人」の言葉なのか>が、非常に見えづらくなる。
また、このことは「家族たち」のカテゴリーを多重化させた。安否の確認できていない人たちがいる限り(というか、そう思っている限り)、その不在を問題とする「家族たち」に「当事者」としてのカテゴリーは生き残っている。しかし一方で、生存が確認され現に日本で暮らしている「被害者本人」がいるために、「家族たち」はその「脱洗脳者=再洗脳者」として振舞う。ここでは彼らは被害者の意見の代弁者であり、それと同時に事後的に「不在」の周辺を問う「評論家」となる。
まったく異なるはずのカテゴリーが*1完全にショートを起こしてしまっているということは、日本ではよく観察されることなのだけれど、「家族会」なんかはその典型的な例であるようにぼくには見える。具体的にどういう場面を指しているのかを挙げることはしないけれど、「当事者」と「評論家」が一緒になったのでは、ただ循環的に消費される言説マッチポンプが局地的に生まれるだけだと思う。
まず、整理することが必要だろう。もちろん人間にはそれを、つまり整理することを拒むこともできる。
けれど、<整理することを拒む人間>は、「整理された言葉」をしたり顔で語ったりしてはいけないのだと、ぼくは思うのだ。


*1:実は状況のせいではなく、知性のせいなのかもしれないけれど