興味のあることを整理した覚え書き。これは同様に、(ぼくにとって)いまの社会を把握するための複数の中心点だと考えられることでもある。

・ロマンティシズムはいかにして回帰するのか
ドニ・ド・ルージュモンが指摘した、制度と情熱との相克のテーマ性は現代にも適用が可能か。あるいは、「入れ替え可能性によって偶然性が不可避的に入り込むことによる、入れ替え不可能性の顕在化」という、矛盾した愛の形式はどのようにして温存されうるか。再びドラマや小説などで活性化している「純愛もの」や「泣きのメカニズム」の分析を通して。

・ショーと「強さ」について
「見せる/見られる」という形式をその発生点とした格闘技は、いま現在、どのようにしてその命脈を保っているのか。ここで考えるべきは、例えば相撲におけるヒールとしての朝青龍であり、あるいはアマチュアリズムとプロフェッショナルとの境界でつねに曖昧な位置に立ち続ける小川直也のエンターテイナー性であって、単純な精神性の回帰としての曙太郎や保守化するK-1などではない。

・内輪の言語はどこへ向かうのか
「世代」を色濃く反映する、あるいはその反映として「世代」を立ち上げる「お笑い」について、その言語は現在どのような形式を備えているのかを考える。楽屋裏を見せることによって視聴者のリテラシーを要求し、発信する側を強化したとんねるずを副次化した起源とし、中継地点としてのダウンタウンを経た、ナインティナインこそがその考察の中心となる。その際には、ナインティナインを「内輪の言語の現在形(決して最新ではない)」として捉え、その笑い(とりわけ「いじり」)の手法と特徴から、その分析を通して社会の特長にまで論旨を広げる。

メジャーどころではこんなところが個人的な興味。暇なときにでも考えたい。