『2046』(2)

昨日からの続き。
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さて前回述べたように、この『2046』では全編通して、主人公チャウによる「行きて還りし物語」が徹底的に完遂しない様子が描かれている。チャウの投影としての小説内登場人物タク*1が、まさに「2046」から唯一還ってきた男として設定されていることもまた、そのことを示唆している。
タクは恋人の気持ちを探しに「2046」へ行き、見つけられずにそこから戻ってくる設定なのだが、タクと同じようにチャウもまた現実に空間を行ったりきたりする。香港からシンガポールプノンペン、そして香港というように。彼は「空間的には」とても自由であるように見える。しかしながら「時間的に」考えてみるならばどうだろう。過去の記憶と後悔に囚われ、そしてその記憶から現実には一歩も踏み出せない一人の男がいるだけである。チャン・ツィイー演じるバイ・リンとの会話の中で、チャウは言う。

バイ・リン:「私をあなたの特別にして」
チャウ:「ダメだ。特別な女は一人だけだ」
バイ・リン:「だれ?」
チャウ:「母親だよ」*2

まさにチャウにとっては、その特別な女性(想いを果たすことができなかった、マギー・チャン演ずる「人妻」)こそが現在の自分を決定的につくってしまった「母親」であるわけだ。そして、「母親」の問題性というのは本質的に「時間的な」ものである。それは時間軸において人を拘束する*3
つまり、当たり前のことだが「2046」とは空間の名前であると同時に、その「決定的な時間」を名指している。タクの登場する「2046」はそうした時間をわかりやすく空間化した世界である。よって、作者であるチャウは現実(「2046」の外側の世界)を描くことも、(フェイ・ウォン演じるジンウェンに送った小説)「2047」をハッピーエンドで終わらせることもできない*4。なぜならば、チャウ自身がいまだに「2046」の住人だからである。
この拘束ゆえに、チャウは「愛」に関して、新しい関係性のモデルを構築することができない。彼の中で、世界は二つに解離してしまっているのだ。
そしてこのことが、チャウが「やさしい」理由でもある。
(続く)


*1:木村拓哉が演じている

*2:ちょっと曖昧ですが、こんな感じの会話

*3:その結果、空間的にも

*4:もちろん、2047とはチャウの住む部屋のルーム・ナンバーでもある。彼は自分のハッピーエンドを想像できない