おばさん嫌い

きょうは早めの昼食を池袋の小さな中華屋でとった。
で、注文したチンジャオルースー丼が出てきて勢いよくそれをかっ食らっていると、客として入ってきたおばさんがぼくの横に立って、こっちを覗き込んできた。気にしても仕方がないので食べ続けていると、
「その食べてるのはなに?」
と強い調子で訊いてきた。ピーマンや肉やご飯に満ちたぼくの口は咀嚼でいっぱいいっぱいで当然それに答えるどころではなく、だいたいそんな質問に答えなくちゃならない理由は何もないし平穏な食事時を壊されて頭にもきていたので、顔だけそのおばさんのほうを向けて咀嚼を続けていると、それを困り果てた様子だと勘違いした店員が代わりにチンジャオルースー丼だと答えてくれた。
だいたい、「店員がみんな中国人」みたいな店じゃないのだ。そんなことは食事中の客に訊くのではなく、店員に教えてもらうのが常識というか、マナーじゃないのだろうか。
少し関連して、ぼくはいわゆる「高速バス」というのを利用する機会が多いのだけれど、困った乗客というのはだいたいが「おばさん」である。自分たちだけが乗っているのだとでも思っているのか、大きな声で会話をし*1、ときには集団で缶ビールをあけ酒盛りを始めてしまったりする。運転手に注意されているのは例外なくこうした集団の「おばさん」だ。「おじさん」たちはほぼみんな酒の飲み方や声のひそめ方を知っているし、仕事途中の人も多いのだろう、そもそも「おばさん」たちほど集団行動をしない。
あと、間違って「映画の日」なんかに映画館に行くと、普段はいない「おばさん」たちがやけに多かったりする。慣れてる人はいいんだけれど、映画に慣れてないおばさんたちが前にいると頭が邪魔で見づらい。それは仕方ないにしろ、幕が上がってからもしゃべってたりするするのもきまっておばさんグループで、そのうるささに思わず椅子を蹴っ飛ばしたくなる衝動に駆られる*2
ぼくはこういうマナーのなっていないおばさんが本当に苦手で、嫌いだ。
常識がないとされるのはいつの時代も「若者」だけれど、若者にはこれから常識やマナーを身につけていく可能性が十分に残されている。「若さ」というのは十分に言い訳になる。
ところが、おばさんにはそうした可能性がほとんどない。だいたいきょう中華屋で会ったおばさんだって、見た感じはもう60を越えているはずで、それまで生きてきて常識やマナーを身につけられなかった人間がこれから変化するとは、とてもじゃないけど思えない。戦時中と初等教育の時期とがぶつかって、そういったものが欠落したまま生きてきたのだろうか(そんなわけはない)。
それとも、こういう人たちはそれまで持っていた常識を、人生のどこかのタイミングでふと落としてしまったのだろうか。「年を取ると子供にかえる」とよく言われるくらいだから、もしかしたらそうなのかもしれない。
どっちにしろ、そういう「おばさん」はことごとくキレイではない。
そう、キレイなおばさんはおばさんではないのだ。
すくなくとも、ぼくの定義では。


*1:このあいだ乗り合わせたおばさんは、一時間以上もずっと姑のグチをこぼし続けていた。こういう人が「渡る世間は鬼ばかり」みたいなドラマを欠かさず見ているのは不思議だ。ドラマの中でまで姑を見つけるのだから

*2:混んでいるから席もかえられなかったりする。だから、いくら安くても「映画の日」には映画館に行きたくない、ぼくは