読んだ本のメモ。
昨日も少し触れた『不純異性交遊マニュアル』(速水由紀子宮台真司筑摩書房)。2002年の刊行ということだが、現状認識はたいして色あせてはいない気がする*1(この手の話題は急速に古びてしまうので)。
ぼくが気になったのは、[「ロマンへの諦念」→(完全にはムリ)→「失われた濃密さを埋める必要性=ロマンの代用品としてのセックス」]という形で把握されるスティンガー(やっぱなつかしい)的なあり方というのが「自分本位」であることではもちろんなく、「外在的な記述(データ)の収集」が性欲処理と切り離せないということと、あと本書においてはそうしたものがロマンの役割を補うするものとして提示されているという点だ。フェチ化する「妄想」は当然、その裏づけとして「外在的な記述(データ)」の束を要求するし、だからこそオタク的なものと親和性が高い。しかしそうしたありかたは、本書においてはあくまでロマンの「代わり」でしかない。ほんとにそうなんだろうか、と思うわけだ。
あと、下の注でもちょっと触れたけど、「女の子はどうなんだろう」ってのもある。この本、女の子がいないんで。
以上。


*1:ぼくの実感レベルでは、性的コミュニケーションの後退(というか、ロマンティックレベルへのベタな回帰とその失敗、ならびにモテる/モテないの二極分化)が女の子のほうでも進行しているように感じる。二十歳前の知り合いの女の子たちの話を聞いていると